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プリンスさんの死因について|麻薬の過剰摂取治療を受けていた

プリンス

ポップミュージックの軌跡に名を刻んだプリンスが21日、57歳で死去しました。

亡くなる6日前、体調を崩し、プライベートジェット機をイリノイ州郊外に緊急着陸させた際、麻薬の過剰摂取のための治療を受けていました。米情報サイトTMZによると、医師らは緊急着陸の間、プリンスさんに“セーブショット”と呼ばれる応急注射を打っていたという。応急注射は通常、血流の中にあるヘロインや麻薬鎮痛剤などのあへん剤と闘うのを助けるものでした。

プリンス

 

◆レーベルの力を借りずに、自身の音楽を公表する困難さ

20を超えるアルバムとともに、プリンスが残したもう一つの遺産があります。それは巨大資本レーベルから独立する動きの先陣を切った事です。

インターネットが一般化した今現在、アーティストが一流企業レーベルの力を借りずに、自身の音楽を公表することは滅多にありません。

JayZは、サブスクリプション・モデルのストリーミング・サービス「Tidal」で楽曲を供給しています。

レイディオヘッドも、ユーザーが自身の好きな額を支払う仕組みを「InRainbows」リリース時に採用しました。

ただし、インターネット以前のご時世、アーティストが数多くのファンをゲットしメジャーになるためには、一流企業のレコード企業と契約するしかありませんでした。それは場合を見ては、アーティストが自身の作りたい楽曲や心象を、企業側の意向に当てはめて曲げなければならない事を示唆します。

プリンスは、所属していたワーナー・ブラザーズとコメントが合わず、悩んでい、あそや。

1993年、両者の対立は頂点に達しました。

プリンスの伝記には、ワーナーがプリンスという名前の著作権を所有する事になっている事に、腹を立てていた、と書かれています。その名前は、母親が付けたものでした。

抗議の趣旨をこめて、プリンスは、自らの名前を発音できない記号に変更しました。

男性(♂)と女(♀)の記号と、ラッパを思わせる記号をくみあわせたものです。

メディアは彼の事を「TheArtistFormerlyKnownasPrince(元プリンス)」と呼びました。

ワーナーとの契約上、プリンスはいくつかのアルバムを新登場させなくてはならなかったのです。

契約を早く終わらせるため、プリンスはすでにレコーディング済みの音源を利用し、ハイペースで公表しスタート出来ました。

しかしワーナーは、プリンスが市場を飽和させていると腹積もり、ペースをスローダウンさせようとしました。

ワーナーとプリンスの対立は法廷にも持ち込まれました。

プリンスはステージ上でも顔に「SLAVE(奴隷)」と書いて登場しました。

レーベルから解放されるためのアピールだと彼は言いました。

裁判沙汰になった事で、プリンスのレコード売上は激減しました。

1984年の「パープル・レイン」は1300万枚売れたのに対し、1995年の「TheGoldExperience」は50万枚でした。

ワーナーとの契約が切れた2000年、名前をプリンスに戻しました。

その時の記者会見で、プリンスはこう語った。

「間にいる人間たちが、支出者が何を受け取るかをコントロールしている限り、この状況は変わらない。

この問題は別に複雑でもなんでもありません。

解消するのは手間はない。

パン屋にパンを作らせればいいのだ。

私はミュージシャンで、音楽を作っている」。

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